声を思い出すと、自分は抑え切れない激怒を感ずる。自分の少年の頃の無智に対する腹立たしさでもあり、また支那の現状に対する大きい忿懣《ふんまん》でもある。三年霜に打《うた》れた甘蔗、原配の蟋蟀、敗鼓皮丸、そんなものはなんだ。悪辣《あくらつ》なる詐欺《さぎ》と言ってよかろう。また、瀕死の病人の魂を大声で呼びとめるというのも、恥かしいみじめな思想だ。さらにまた、医は能く病いを癒すも、命を癒す能わず、とは何という暴論だ。恐るべき鉄面皮の遁辞《とんじ》に過ぎないではないか。舌は心の霊苗なり、とはどんな聖人君子の言葉か知らないが、何の事やらわけがわからぬ。完全な死語である。見るべし、支那の君子の言葉もいまは、詐欺師の韜晦《とうかい》の利器として使用されているではないか。自分たちは幼少の頃から、ただもう聖賢の言葉ばかりを暗誦《あんしょう》させられて育って来たが、この東洋の誇りの所謂《いわゆる》「古人の言」は、既に社交の詭辞《きじ》に堕し、憎むべき偽善と愚かな迷信とのみを※[#「酉+榲のつくり」、第3水準1−92−88]醸《うんじょう》させて、その思想の発生当初の面目をいつのまにやら全く喪失してしまって
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