これが無いと、人は僕たちを信用しません。学生の宿命です。面白くなくても、ノオトをとらなければいけません。しかし、藤野先生の講義は、面白いですよ。」
 この、私たちがはじめて言葉を交《かわ》した日から周さんは、藤野先生のお名前をしばしば口にしていたのである。
 その日、私は周さんと一緒に松島の海浜の旅館に泊った。いま考えると、当時の私の無警戒は、不思議なような気もするが、しかし、正しい人というものは、何か安心感を与えてくれるもののようである。私はもう、その清国留学生に、すっかり安心してしまっていた。周さんは、宿のどてらに着換えたら、まるで商家の若旦那《わかだんな》の如く小粋《こいき》であった。言葉も、私より東京弁が上手《じょうず》なくらいで、ただ宿の女中に向って使う言葉が、そうして頂戴《ちょうだい》、すこし寒いのよ、などとさながら女性の言葉づかいなのが、私に落ちつかぬ感じを与えた。たまりかねて私は、それだけはやめてくれ、と口をとがらして抗議したら、周さんはけげんな面持ちで、だって日本では、子供に向っては、子供の言葉で、おてて、だの、あんよだの、そうでチュか、そうでチュか、と言うでしょう、
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