それまで東京の小川町も浅草も銀座も見た事の無い田舎者の私なんかを驚嘆させるには充分だったのである。いったいここの藩祖|政宗《まさむね》公というのは、ちょっとハイカラなところのあった人物らしく、慶長十八年すでに支倉《はせくら》六右衛門常長を特使としてローマに派遣して他藩の保守|退嬰派《たいえいは》を瞠若《どうじゃく》させたりなどして、その余波が明治維新後にも流れ伝っているのか、キリスト教の教会が、仙台市内の随処にあり、仙台気風を論ずるには、このキリスト教を必ず考慮に入れなければならぬと思われるほどであって、キリスト教の匂いの強い学校も多く、明治文人の岩野|泡鳴《ほうめい》というひとも若い頃ここの東北学院に学んで聖書教育を受けたようだし、また島崎|藤村《とうそん》も明治二十九年、この東北学院に作文と英語の先生として東京から赴任して来たという事も聞いている。藤村の仙台時代の詩は、私も学生時代に、柄《がら》でもなく愛誦《あいしょう》したものだが、その詩風には、やはりキリスト教の影響がいくらかあったように記憶している。このように当時の仙台は、地理的には日本の中心から遠く離れているように見えながら
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