も、その所謂《いわゆる》文明開化の点においては、早くから中央の進展と敏感に触れ合っていたわけで、私は仙台市街の繁華にたまげ、また街の到るところ学校、病院、教会など開化の設備のおびただしいのに一驚し、それからもう一つ、仙台は江戸時代の評定所《ひょうじょうしょ》、また御維新後の上等裁判所、のちの控訴院と、裁判の都としての伝統があるせいか、弁護士の看板を掲げた家のやけに多いのに眼をみはり、毎日うろうろ赤毛布《あかゲット》の田舎者よろしくの体で歩きまわっていたのも、無理がなかった、とまあ、往時《おうじ》の自分をいたわって置きたい。
私はそのように市内の文明開化に興奮する一方、また殊勝らしい顔をして仙台周辺の名所旧蹟をもさぐって歩いた。瑞鳳殿にお参りして戦勝祈願をしたついでに、向山《むかいやま》に登り仙台全市街を俯瞰《ふかん》しては、わけのわからぬ溜息《ためいき》が出て、また右方はるかに煙波|渺茫《びょうぼう》たる太平洋を望見しては、大声で何か叫びたくなり、若い頃には、もう何を見ても聞いても、それが自分にとって重大な事のように思われてわくわくするもののようであるが、かの有名な青葉城の跡を訪ねて
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