ろいろな意味で最も張り合いのある時期であった。日本においても、いよいよ旅順《りょじゅん》総攻撃を開始し、国内も極度に緊張して、私たち学生も、正貨流出防止のため、羊毛の服は廃して綿服にしようとか、金縁眼鏡の膺懲《ようちょう》とか、或《ある》いは敵前生活と称して一種の我慢会を開催したり、未明の雪中行軍もしばしば挙行せられ、意気ますますさかんに、いまはただ旅順陥落を、一様にしびれを切らして待っていた。
 ついに、明治三十八年、元旦、旅順は落ちた。二日、旅順陥落公報着したりの号外を手にして仙台市民は、湧《わ》きかえった。勝った。もう、これで勝った。お正月のおめでとうだか、戦勝のおめでとうだか、わけがわからず、ただもう矢鱈《やたら》におめでとう、おめでとう、と言い、ふだんあまり親しくしていない人の家にまでのこのこ出掛けて行ってお酒を死ぬほどたくさん飲み、四日の夜は青葉神社境内において大|篝火《かがりび》を焚《た》き、五日は仙台市の祝勝日で、この朝、十時、愛宕山《あたごやま》に於いて祝砲一発打揚げたのを合図に、全市の工場の汽笛は唸《うな》り、市内各駐在所の警鐘および社寺|備附《そなえつ》けの梵鐘《
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