ながら言う。
私はひらいて、眼を瞠《みは》った。どのペエジも、ほとんど真赤なくらい、こまかく朱筆がいれられてある。
「ひどく直されていますね。誰が直したの?」
「藤野先生。」
はっと思った。あの日、藤野先生が、ひとりごとのようにしておっしゃった「不言実行」の意味がわかったような気がした。
「いつから?」
「ずっと前から。もう、講義のはじまった時から。」
周さんは、さらにくわしく説明して、藤野先生が、あの最初の解剖学の発達に就いて講義をなされて、それから一週間ほど経って、たしか土曜日だった、先生の助手が周さんを呼びに来たので、研究室へ行ってみると、先生はれいの人骨のむれに取りかこまれ、にこにこ笑いながら、
「君は、私の講義が筆記できますか?」と尋ねる。
「ええ、どうにか出来るつもりです。」
「どうだかな? ノオトを持って来て見せなさい。」
周さんがノオトを持って行くと、先生はそれを預って、二、三日経ってから、かえして下さって、そうして、
「これから、一週間毎にノオトを持っておいで。」とおっしゃる。
周さんは先生から返されたノオトをあけてみて、びっくりした。ノオトは始めから終りま
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