さかんに騒いでいる。
「月のいい夜には、時々それを思い出すのです。これがまあ、僕の唯一の風流な追憶でしょう。僕のような俗人でも、月光を浴びると、少しは sentimental になるようです。」
私はその翌《あく》る日から、ほとんど毎日かかさず学校に出る事にした。周さんと逢っていろいろ話をしたいばかりに、そんな感心な心掛けになったのである。本当に、私のようなのんき坊主が、津田氏の予言に反して、落第もせずどうやら学校を卒業する事が出来たのも、考えてみると、全く周さんのおかげであった。いや、周さんと、もうひとり。藤野先生に対する私の思慕の情が、私自身を奮起させて落第生の不名誉から救ってくれたと言ってよいように思われる。
その月光の夜から四、五日経って、何でも仙台に初雪が降った日だったと覚えている。私は学校の帰りに周さんを私の下宿に引っぱって来て、こたつにあたり、まんじゅうを食べながらいろいろ話をして、そのうちに周さんは、妙な笑いを顔に浮べて、周さんの鞄《かばん》からノオトを一冊取り出して私のほうにのべて寄こした。見ると、藤野先生の解剖学のノオトである。
「ひらいてごらん。」周さんは笑い
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