「ええ、そうしましょう。案外、おいしいような予感がしますね。」
 天ぷら蕎麦とお酒を注文した。
「お国は、料理の国だそうですから、日本へ来ても、たべものがお粗末で困るでしょうね。」
「そんな事はありません。」と周さんは、まじめな顔をして首を振った。「料理の国だなんて、それは支那へ遊びに来る金持の外国人の言いはじめた事です。あの人たちは、支那を享楽《きょうらく》しに来るのです。そうして自分の国へ帰れば、支那通というものになる。日本でも、支那通と言われている人は、たいてい支那に対するひとりよがりの偏見を振りまわして生きています。通人というのは、結局、現実から遊離した卑怯《ひきょう》な人ですね。支那でおいしい所謂《いわゆる》支那料理を食べているのは、少数の支那の大金持か、外国の遊覧客だけです。一般の民衆は、ひどいものを食べています。日本だってそうでしょう? 日本の旅館のごちそうを、日本の一般の家庭では食べていない。外国の旅行者は、それでも、その旅館のごちそうを、日本の日常の料理だと思って食べている。支那は決して、料理の国ではありません。僕は東京へ来て、八丁堀《はっちょうぼり》の偕楽園《かい
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