、撤回せよ、と厳重な抗議を申し込んだものだそうであるが、さすがに明治の中ごろになったらそんな事はなくなり、同時に、仙台の観衆もまた、この芝居を、自分スちの旧藩の事件を取扱った芝居だからと特別の好奇心で見に来るという事もなくなって、もうそのころから、どこの国の事件だかまるで無関心、ふつうのあわれなお芝居として、みんな静かに見物しているだけというような有様になったらしい。けれども、当時、私はそんな事情はまだ知らなかったので、仙台の観客たちは、この先代萩を見てどんなに興奮しているだろう、とその熱狂振りを見たいという期待もあって小屋にはいったのであるが、観客は案外に冷静、しかもやっと五、六|分《ぶ》の入《い》りなので、おやおやと思う一方また、さすがは大仙台の市民だ、自分のお国の事件が演ぜられているのに平気な顔して見物している、これが大都会の襟度《きんど》というものかも知れないなどと、山奥の田舎から出て来たばかりの赤毛布《あかげっと》は、妙なところに感心したりして、そうして、雀三郎の政岡の「とは言うものの、かわいやな」という愁歎場《しゅうたんば》を見て泣き、ふと傍を見ると、周さんが立っている。や
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