らないと思ってまっすぐに私の下宿にかえり、夕食後、ぶらりと宿を出て、東一番丁に行き、松島座で中村|雀三郎《じゃくさぶろう》一座が先代萩《せんだいはぎ》をやっていたので、仙台の先代萩はどんなものかしらという興味もあり、ちょっと覗《のぞ》いてみたくなって立見席にはいった。先代萩というのは、ご存知の如く仙台の伊達藩《だてはん》のお家騒動らしいものを扱った芝居で、榴《つつじ》ヶ岡《おか》の近くに政岡《まさおか》の墓と称せられるものさえある程だから、この芝居も昔から仙台ではさだめし大受けであったろうと思っていたが、あとで人から聞いたところに依《よ》ると、それは反対で、この芝居は、旧藩時代にはこの地方では御法度物《ごはっともの》だったそうで、維新後になって、その禁制もおのずから解けて自由に演じて差支《さしつか》え無くなったとはいうものの、それでも、仙台市内では永くこの芝居は興行せられず、時たま題をかえて演ぜられる事があっても、その都度、旧藩士と称する者が太夫元に面会を申し込み、たとえ政岡という烈婦が実在していたとしても、この芝居全体の仕組みは、どうも伊達家の名誉を毀損《きそん》するように出来ている
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