しかった小旅行を共に感謝し合って別れ、その次の朝は、新しい友人にまた逢えるという張合いがあって、下宿のひとたちも驚いていたくらいに早く起きト学校に出たのだが、周さんの姿は校庭にも、教室にも見受けられなかった。私はその日一日はなはだ索莫《さくばく》たる気持で、いろんな先生の講義を聞いた。私は周さんほど痛切な目的を以て、この医学に志したわけでも無かったから、そのさまざまな講義も別段ありがたく思えなかったし、また、たいして新鮮にも感ぜられなかった。藤野先生の講義にも、その日はじめて出席してみたが、周さんがあんなに情熱をこめて褒《ほ》めていたほど、それほど、たのしい授業ではなかった。ちょうどそのころ、藤野先生の講義は、骨学総論を終り、骨学各論にはいったばかりのところであったが、等身大の躯幹骨《くかんこつ》の標本を傍に置いて、まるでそれがご自分の肉親のお骨でもあるかのように実になつかしげに撫《な》でまわしながら、聴講生ひとり残らず全部の者に深くあやまたず納得させずんばやまじというような、懇切丁寧を極めた講義であって、良心的というのか、糞《くそ》まじめというのか、私のように気の短いものには、どうにもややこしくて、やり切れない感じがした。解剖学というものが、もともとそんな、ややこしい学問であるという事は後で知ったが、それにしても、藤野先生の繰り返し繰り返しの熱心な説明には、まいらざるを得なかった。風貌《ふうぼう》も、その時はちゃんとネクタイをしておられたし、飄々《ひょうひょう》などという仙人じみた印象は微塵《みじん》も無く、お顔は黒く骨張って謹直な感じで、鉄縁の眼鏡の奥のお眼は油断なく四方を睥睨《へいげい》し、なつかしいどころか、私にはどの先生よりも手剛《てごわ》いお方のように見受けられた。それでも、やはり周さんが話したように、教室のうしろの方の古狸連中は、何でも無い事にどっと笑い崩れたりして騒いでいたが、それは私の観察したところでは、かの落第生たちは、藤野先生のこんな几帳面《きちょうめん》すぎると言っていいくらいの真剣な講義に圧迫を感じ、かえって虚勢を示し、われら古参の兵には、こんな講義など可笑《おか》しくてかなわぬ、新入生たちよ、そんなに緊張しなさんな、という示威運動を試みているだけのものの如く思われ、ひょっとしたら、あの連中は全部、藤野先生の解剖学で落第点をもらって、その腹
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