惜別
太宰治

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)不精鬚《ぶしょうひげ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大いに自由|闊達《かったつ》に、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「穴かんむり/目」、第3水準1−89−50]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)もう 〔natu:rlich〕 なのですね。
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−

[#ここから2字下げ]
これは日本の東北地方の某村に開業している一老医師の手記である。
[#ここで字下げ終わり]


 先日、この地方の新聞社の記者だと称する不精鬚《ぶしょうひげ》をはやした顔色のわるい中年の男がやって来て、あなたは今の東北帝大医学部の前身の仙台医専を卒業したお方と聞いているが、それに違いないか、と問う。そのとおりだ、と私は答えた。
「明治三十七年の入学ではなかったかしら。」と記者は、胸のポケットから小さい手帖《てちょう》を出しながら、せっかちに尋ねる。
「たしか、その頃と記憶しています。」私は、記者のへんに落ちつかない態度に不安を感じた。はっきり言えば、私にはこの新聞記者との対談が、終始あまり愉快でなかったのである。
「そいつあ、よかった。」記者は蒼黒《あおぐろ》い頬《ほお》に薄笑いを浮かべて、「それじゃ、あなたは、たしかにこの人を知っている筈《はず》だ。」と呆《あき》れるくらいに強く、きめつけるような口調で言い、手帖をひらいて私の鼻先に突き出した。ひらかれたペエジには鉛筆で大きく、
 周樹人
と書かれてある。
「存じて居ります。」
「そうだろう。」とその記者はいかにも得意そうに、「あなたとは同級生だったわけだ。そうして、その人が、のちに、中国の大文豪、魯迅《ろじん》となって出現したのです。」と言って、自身の少し興奮したみたいな口調にてれて顔をいくぶん赤くした。
「そういう事も存じて居りますが、でも、あの周さんが、のちにあんな有名なお方にならなくても、ただ私たちと一緒に仙台で学び遊んでいた頃の周さんだけでも、私は尊敬して居ります。」
次へ
全99ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング