「へえ。」と記者は眼を丸くして驚いたようなふうをして、「若い頃から、そんなに偉かったのかねえ。やはり、天才的とでもいったような。」
「いいえ、そんな工合ではなくて、ありふれた言い方ですが、それこそ素直な、本当に、いい人でございました。」
「たとえば、どんなところが?」と、記者は一|膝《ひざ》乗り出して、「いや、実はね、藤野先生という題の魯迅の随筆を読むと、魯迅が明治三十七、八年、日露戦争の頃、仙台医専にいて、そうして藤野厳九郎という先生にたいへん世話になった、と、まあ、そんな事が書かれているのですね、それで私は、この話をうちの新聞の正月の初刷りに、日支親善の美談、とでも言ったような記事にして発表しようと思っているのですがね、ちょうどあなたがそのころの、仙台医専の生徒だったのではあるまいかと睨《にら》んでやって来たようなわけです。いったい、どんな工合でした、そのころの魯迅は。やはりこの、青白い憂鬱《ゆううつ》そうな表情をしていたでしょうね。」
「いいえ、別にそう。」私のほうで、ひどく憂鬱になって来た。「変ったところもございませんでした。なんと申し上げたらいいのでしょうか、非常に聡明《そうめい》な、おとなしい、――」
「いや、そんなに用心しなくてもいいんだ。私は何も魯迅の悪口を書こうと思っているのじゃないし、いまも言ったように、東洋民族の総親和のために、これを新年の読物にしようと思っているのですからね、殊《こと》にこれはわが東北地方と関係のあることでもありますから、謂《い》わばまあ地方文化への一つの刺戟《しげき》になるのです。だから、あなたもわが東北文化のために大いに自由|闊達《かったつ》に、当時の思い出話を語って下さい。あなたにご迷惑のかかるような事は絶対に無いのですから。」
「いいえ、決して、そんな、用心なんかしていませぬのですが。」その日は、なぜだか、気が重かった。「何せもう、四十年も昔の事で、決して、そんな、ごまかす積りはないのですけれども、私のような俗人のたわいない記憶など果してお役に立つものかどうか。――」
「いや、いまはそんな、つまらぬ謙遜《けんそん》なんかしている時代じゃありませんよ。それでは、私は少し質問しますが、記憶に残っているところだけでも答えて下さい。」
 それから記者は一時間ばかり、当時の事をいろいろ質問して、私のしどろもどろの答弁に頗《すこ
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