富士の根ににほふ朝日も霞《かす》むまで
     としたつ空ののどかなるかな
 まさに日本は、この時、確実に露西亜《ロシア》を打破ったのだといってよい。このお正月の末あたりから、帝政露西亜に内乱が勃発《ぼっぱつ》し、敗色いよいよ濃厚になり、日本軍は破竹の勢い、つづく三月十日、五月二十七日、日本国民として忘るべからざる陸海軍の決定的大勝利となり、国威四方に輝煥《きかん》し、国民の意気また沖天《ちゅうてん》の概があったが、この日本の大勝利は、異国人の周さんにまで、私たちの想像の及ばぬほど強い衝撃を与えていたのである。周さんが日本に来て、横浜新橋間の窓外の風景が、世界のどこにも無い独自の清潔な秩序をもっている事を直感し、そうして、東京の女のひとたちが赤い襷《たすき》をかけ白く新しい手拭《てぬぐい》をあねさまかぶりにして、朝日の射している障子《しょうじ》にはたきをかけている可憐《かれん》な甲斐々々《かいがい》しい姿こそ日本の象徴ではあるまいかと考え、日本はこの戦争に必ず勝つ、このように国内に活気|横溢《おういつ》して負けるはずはない、とあの松島の旅館においても予言していたのだが、その勝利が、おそらくは周さんのかねて考えていたよりさらに数層倍も素晴らしく眼前に展開されるのを見て、いまさらながら日本の不思議な力に瞠若《どうじゃく》驚歎したように私には見受けられた。周さんは、その旅順陥落を境にして、再び日本研究をし直した様子であった。周さんの話に拠れば、その頃の支那の青年が日本に学問しに来るのは、決して日本固有の国風、文明を慕っているからではなく、すぐ近くで安直に西洋文明を学びとる事が出来るという一時の便宜主義から日本を選ぶに過ぎないのだという事であったが、周さんも、やはりはじめはそんなつもりで日本へ来て、すぐにこの国の意外な緊張を発見して、ここには独自な何かがあると予感したものの、さて、このように堂々と当時の世界の一等国露西亜を屈伏せしめた事実を目撃しては、何物かがあるくらいでは済まされなくなったらしく、こんどは漢訳の明治維新史だけではなく、直接に日本文の歴史の本をいろいろ買い集めて読みふけり、いままでの自分の日本観に重大な訂正を加えるに到ったようである。
「日本には国体の実力というものがある。」と周さんは溜息《ためいき》をついて言っていた。
 これはいかにも平凡な発見のよう
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