ではあるが、しかし、私はこの貧しい手記の中に最も力をこめて特筆大書して置きたいような、何だか、そんな気がしてならないのである。日露戦争に於ける日本の大勝利に依って刺戟《しげき》されて得たこの周さんの発見は、あのひとの医学救国の思想に深い蹉跌《さてつ》を与え、やがて、その生涯の方針を一変せしめたそもそもの因由になったのではないか、と私は考えているのである。彼は、明治の御維新は決して蘭学者たちに依って推進せられたのでは無い、と言いはじめた。維新の思想の原流は、やはり国学である。蘭学はその路傍に咲いた珍花に過ぎない。徳川幕府二百年の太平から、さまざまの文芸が生れたが、その発達と共に、遠い祖先の文芸思想にも触れる機会が多くなり、その研究が真剣に行われ始めたのと同時に、徳川幕府も、ようやくその政治力の困憊期《こんぱいき》にはいり、内にあっては百姓の窮乏を救うこと能《あた》わず、外にあっては諸外国の威嚇《いかく》に抗し得ず、日本国をしてまさに崩壊の危機に到らしめた間一髪に於いて、遠い祖先の思想の研究家たちは、一斉に立って、救国の大道を示した。曰《いわ》く、国体の自覚、天皇親政である。天祖はじめて基をひらき、神代を経て、神武天皇その統を伝え、万世一系の皇室が儼乎《げんこ》として日本を治め給う神国の真の姿の自覚こそ、明治維新の原動力になったのである。この天地の公道に拠らざれば救国の法また無しと観じて将軍慶喜公、まずすすんで恭順の意を表し、徳川幕府二百数十年、封建の諸大名も、先を争って己《おのれ》の領地を天皇に奉還した。ここに日本国の強さがある。如何《いか》に踏み迷っても、ひとたび国難到来すれば、雛《ひな》の親鳥の周囲に馳《は》せ集《つど》うが如く、一切を捨てて皇室に帰一し奉る。まさに、国体の精華である。御民の神聖な本能である。これの発露した時には、蘭学も何も、大暴風に遭った木の葉の如く、たわいなく吹き飛ばされてしまうのである。まことに、日本の国体の実力は、おそるべきものである、という周さんの述懐を聞いて、私の胸は高鳴り、なぜだか涙がだらしないくらいに出て、坐り直して私は周さんに尋ねた。
「それでは、あなたは日本には西洋科学以上のものがあると言うのですね?」
「もちろんです。日本人のあなたが、そんな事をおっしゃるのは情無い。日本が露西亜に勝ったではありませんか。露西亜は科学の先進国で
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