いすぎて、僕はたいへんいけませんでした。あとで、僕は藤野先生に叱られました。」
「何の事ですか?」と周さんは口をはさんだ。
「いや、津田さんから鳥のたたきをごちそうになって、飲んだのです。」と私は、あいまいに言いまぎらした。
「それだけじゃないんだ。」と津田氏は言いかけて、ふいと語調をかえ、「君はまだ周さんに何も言ってないの?」
 ええ、と私は小さく首肯《うなず》き、何も言うな、と眼で津田氏にせわしなく合図した。
「そうかあ。」と津田氏は大声を発し、「君はいい奴だ。藤野先生に告げ口したのはけしからんが、しかし、あれは僕が悪かったんだ。よし、飲もう。今夜は三人で、また鳥のたたきを食べよう。万歳。」津田氏は既にいくらか酔っているようであった。
 戦いにはどうしたって、絶対に、勝たなければならぬものだとその夜つくづく思った。勝てばいいんだ。津田氏の所謂《いわゆる》外交上の深慮も何も一ぺんに吹飛んでしまうのだ。津田氏だって、憂国の好青年だった事においては変りは無いのだ。彼がその夜、周さんに聞えないように小声で私に白状したところに拠《よ》ると、彼は二箇月前、バルチック艦隊出発近きにありの報を聞き、旅順陥落せざるうちにその大艦隊が日本に押寄せて来たらどうしようと心配のあまり、人皆うたがわしく見えて来て、周さんがひとりでこっそり松島へ出掛けて行ったのも、或《あるい》は露国《ろこく》のスパイとして、かの松島湾の深浅を測量し、もって露国の艦隊をここに導き入れ、仙台市の全滅をたくらんでいるのではなかろうかと、何が何やら、旅順が落ちないばかりのむしゃくしゃの八つ当りであの夜、私に説教したのだという。私はそれを聞いて内心大いに呆《あき》れたが、しかし、もういいのだ。勝ったから、いいのだ。戦いは、これだから、絶対に勝たなければならぬ。戦況ひとたび不利になれば、朋友相信じる事さえ困難になるのだ。民衆の心裡《しんり》というものは元来そんなに頼りないものなのだ。小にしては国民の日常倫理の動揺を防ぎ、大にしては藤野先生の所謂「東洋本来の道義」発揚のためにも、戦いには、どんな犠牲を払っても、必ず勝たなければならぬ、とその夜しみじみ思った。
 旅順の要塞《ようさい》が陥落すると、日本の国内は、もったいないたとえだが、天の岩戸がひらいたように一段とまぶしいくらい明くなり、そのお正月の歌御会始の御製は、
 
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