が、いやでなかつたら、いらつしやい、と。」
喧嘩わかれになつてしまつた。けれどもその夜、才之助の汚い寝所に、ひらりと風に乗つて白い柔い蝶が忍び入つた。
「清貧は、いやぢやないわ。」と言つて、くつくつ笑つた。娘の名は、黄英《きえ》といつた。
しばらくは二人で、茅屋に住んでゐたが、黄英は、やがてその茅屋の壁に穴をあけ、それに密着してゐる陶本の家の壁にも同様に穴を穿ち、自由に両家が交通できるやうにしてしまつた。さうして自分の家から、あれこれと必要な道具を、才之助の家に持ち運んで来るのである。才之助には、それが気になつてならなかつた。
「困るね。この火鉢だつて、この花瓶だつて、みんなお前の家のものぢやないか。女房の持ち物を、亭主が使ふのは、実に面目ない事なのだ。こんなものは、持つて来ないやうにしてくれ。」と言つて叱りつけても、黄英は笑つてゐるばかりで、やはり、ちよいちよい持ち運んで来る。清廉の士を以て任じてゐる才之助は、大きい帳面を作り、左の品々一時お預り申候と書いて、黄英の運んで来る道具をいちいち記入して置く事にした。けれども今は、身のまはりの物すべて、黄英の道具である。いちいち記入して
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