衆の生活というものは、とても、なつかしくて、そうして悲しいものだ。僕には、まだまだ苦労が足りない、と思った。千葉で十五分待って、それから勝浦《かつうら》行に乗りかえ、夕方、片貝《かたかい》につく。ところが、バスが無い。最終のバスが、三十分前に出てしまったというのだ。二人で、円タクに掛け合ったが、運転手が病気だそうで、話にならない。
「歩こうか。」と兄さんが寒そうに首をちぢめながら言った。
「そうね。荷物は僕が持ちますから。」
「いいよ。」兄さんは笑い出した。
二人で、まず海岸へ出た。磯伝いに行くと割に近いのだ。夕日が照って、砂は黄色く美しかったが、風は強く頬を撃って、寒かった。九十九里の別荘へは、この四、五年、来た事がない。東京から遠すぎるし、場所も淋しいから、夏休みにも、たいてい沼津の母の実家のほうに行ってしまう。でも、久し振りで来てみると、九十九里の海は、昔ながらにひろびろとして青い。大きいうねりが絶えまなく起きては崩れている。子供の頃には、毎年のように来たものだ。別荘は、松風園と呼ばれて、九十九里の名物になっていたものだ。たくさんの避暑客が、別荘の庭を見に来て、お父さんは誰かれ
前へ
次へ
全232ページ中61ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング