の知識人なのだ。なんというだらしなさだ。お前は小学校時代に毎週、兄さんに連れられて教会へ行って聖書を習ったのを忘れたか。イエスの悲願も、ちゃんと体得した筈《はず》だ。イエスのような人になろうと、兄さんと約束したのを忘れたか。「ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣《つかわ》されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏《めんどり》のその雛《ひな》を翼の下に集むるごとく、我なんじの子どもを集めんと為《せ》しこと幾度《いくたび》ぞや」という所まで読んで、思わず声を挙げて泣いたあの夜を、忘れたか。毎日毎日、覚悟ばっかり立派で、とうとう一週間、馬鹿のように遊んでしまった。
 ことしの三月には、入学試験もあるのだ。受験は人生の最終の目的ではないけれども、兄さんの言ったように、これと戦うところに学生生活の貴さがあるのだ。キリストだって勉強したんだ。当時の聖典を、のこりくまなく研究なさったのだ。古来の天才はすべて、ひとの十倍も勉強したんだ。
 芹川進よ、お前は大馬鹿だぞ! 日記など、もうよせ! 馬鹿が甘ったれてだらだら書いた日記など、豚も食わない。お前は、日記をつけるために生活しているのか? ひとりよがりの、だらだら日記は、やめるがいい。無の生活を、どんなに反省しても、整頓《せいとん》しても、やっぱり無である。それを、くどくど書いているのは、実に滑稽《こっけい》である。お前の日記は、もう意味ないぞ。
「吾人《ごじん》が小過失を懺悔《ざんげ》するは、他に大過失なき事を世人に信ぜしめんが為《ため》のみ。」――ラ・ロシフコオ。
 ざまあ見やがれ!
 あさってから、第三学期がはじまります。
 張り切って、すすめ!


 四月一日。土曜日。
 うす曇り。烈風なり。運命的な日である。生涯《しょうがい》、忘れ得べからざる日である。一高の発表を見に行った。落ちていた。胃と腸が、ふっと消えたような感じ。体内が、空《から》っぽになった感じ。残念、という感じではない。ただ、ホロリとした。進が、ふびんだった。でも、落ちて当然のような気もした。
 家へかえりたくなかった。頭が重くて、耳がシンシン鳴って、のどが、やたらに乾《かわ》く。銀座へ出た。四丁目の角に立って、烈風に吹かれながらゴー・ストップを待っていたら、はじめて涙が出た。声が出そうになった。無理もねえさ、生れてはじめての落第だもの、と思ったら、とても
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