正義と微笑
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山路《やまじ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一週間|経《た》つと

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「鹿/章」、第3水準1−94−75]
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[#ここから5字下げ、ページの左右中央に]
わがあしかよわく  けわしき山路《やまじ》
のぼりがたくとも  ふもとにありて
たのしきしらべに  たえずうたわば
ききていさみたつ  ひとこそあらめ
[#ここから17字下げ]さんびか第百五十九
[#ここで字下げ終わり]
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 四月十六日。金曜日。
 すごい風だ。東京の春は、からっ風が強くて不愉快だ。埃《ほこり》が部屋の中にまで襲来し、机の上はざらざら、頬《ほっ》ぺたも埃だらけ、いやな気持だ。これを書き終えたら、風呂《ふろ》へはいろう。背中にまで埃が忍び込んでいるような気持で、やり切れない。
 僕《ぼく》は、きょうから日記をつける。このごろの自分の一日一日が、なんだか、とても重大なもののような気がして来たからである。人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられると、ルソオだか誰《だれ》だか言っていたそうだが、或《ある》いは、そんなものかも知れない。僕も、すでに十六歳である。十六になったら、僕という人間は、カタリという音をたてて変ってしまった。他《ほか》の人には、気が附《つ》くまい。謂《い》わば、形而上《けいじじょう》の変化なのだから。じっさい、十六になったら、山も、海も、花も、街の人も、青空も、まるっきり違って見えて来たのだ。悪の存在も、ちょっとわかった。この世には、困難な問題が、実に、おびただしく在るのだという事も、ぼんやり予感出来るようになったのだ。だから僕は、このごろ毎日、不機嫌《ふきげん》なんだ。ひどく怒りっぽくなった。智慧《ちえ》の実を食べると、人間は、笑いを失うものらしい。以前は、お茶目で、わざと間抜けた失敗なんかして見せて家中の人たちを笑わせて得意だったのだが、このごろ、そんな、とぼけたお道化が、ひどく馬鹿《ばか》らしくなって来た。お道化なんてのは、卑屈な男子のする事だ。お道化を演じて、人に可愛《かわい》がられる、あの淋《
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