。
「あのう、おなかが痛いんですけど。」われながら情ない。「俊雄君にも、よろしく。」要らぬお世辞まで言ってしまった。
兄さんに合せる顔も無く、そのまま部屋にとじこもって日の暮れるまで、キエルケゴールの「基督《キリスト》教に於ける訓練」を、読みちらした。一行《いちぎょう》も理解できなかった。ただ、あちこちの活字に目をさらして、他《ほか》の、とりとめのない事ばかり考えていた。
きょうは、阿呆《あほう》の一日であった。どうも、下谷の家は難物だ。あの家に姉さんがいらして、そうして幸福そうに笑ったりなんかしているのかと思うと、何が何やらわからなくなってしまう。晩ごはんの時、
「夫婦って、どんな事を話しているもんだろう。」と僕が言ったら、兄さんは、
「さあ、何も話していねえだろう。」と、つまらなそうな口調で答えた。
「そうだろうねえ。」
兄さんは、やっぱり頭がいい。下谷のつまらなさを知っているのだ。
夜、のどが痛くて、早く寝る。八時。寝ながら日記をつけている。お母さんは、このごろ元気がよい。この冬を無事に越せば、そろそろ快方に向うかも知れない。なにせ、やっかいな病気だ。それはそれとして、五円できないかなあ。佐伯に返さなくちゃいけないんだ。きれいに返して絶交するんだ。どうも、お金を借りていると、人間は意気地がなくなっていけない。古本を売って、つくるか。やっぱり兄さんに、たのむか。
申命記《しんめいき》に之《これ》あり。「汝《なんじ》の兄弟より利息を取《とる》べからず。」兄さんにたのむのが安全らしい。僕には、ケチなところがあるようだ。
風いまだ強し。
一月六日。金曜日。
晴れ。寒気きびし。毎日、決心ばかりして、何もせぬのが恥ずかしい。ギタが、ますます巧《うま》くなったが、これは何も自慢にならない。ああ、悔恨の無い日を送りたい。お正月は、もういやだ。のどの痛みは、なおったが、こんどは頭が痛い。なんにも書く気がしない。
一月七日。土曜日。
曇。ついに一週間、無為。朝から、ひとりで蜜柑《みかん》をほとんど一箱たべた。てのひらが黄色くなったようである。
恥じよ! 芹川進。お前の日記は、ちかごろ、だらしがなさ過ぎるぞ。知識人らしい面影《おもかげ》が、どこにもないじゃないか。しっかりしなければならぬ。お前の大望を忘れたか。お前は、すでに十七歳だ。そろそろひとりまえ
前へ
次へ
全116ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング