よくわからなかった。
「役者になるのか。」横沢氏は、また馬鹿声を出して、「脚本家になるのか。どっちだ!」
「役者です。」即座に答えた。
「しからば、たずねる。」本気か冗談か、わけがわからない。どうして横沢氏は、こんなに柄《がら》が悪いんだろう。人相だってよくないし、服装だって、和服の着流しで、だらしがない。日本で有数の文化的な劇団「鴎座」の、これが指導者なのかと思うと、がっかりする。きっと、お酒ばかり飲んで、ちっとも勉強していないのだろう。下唇《したくちびる》をぐっと突き出して、しばらく考えてから、やおら御質問。
「役者の、使命は、何か!」愚問なり。おどろいた。あやうく失笑しかけた。まるで、でたらめの質問である。質問者の頭のからっぽなことを、あますところなく露呈している。てんで、答えようがないのである。
「それは、人間がどんな使命を持って生れたか、というような質問と同じ事で、まことしやかな、いつわりの返答は、いくらでも言えるのですが、僕は、その使命は、まだわかりませんと答えたいのです。」
「妙な事を言うね。」横沢氏は、鈍感な人である。軽い口調でそう言って、シガレットケースから煙草《たばこ》を取り出し、一本口にくわえて、「マッチないか?」と、隣の上杉氏からマッチを借り、煙草に点火してから、「役者の使命はね、外に向っては民衆の教化、内に於《おい》ては集団生活の模範的実践。そうじゃないかね。」
 僕は、あきれた。落第したほうが、むしろ名誉だと思った。
「それは、役者に限らず、教化団体の人なら誰でも心掛けていなければならぬ事で、だから僕がさっき言ったように、そんな立派そうな抽象的な言葉は、本当に、いくらでも言えるんです。そうしてそれは、みんなうそです。」
「そうかね。」横沢氏は、けろりとしている。あまりの無神経に、僕は横沢氏を、ちょっと好きになったくらいであった。「そういう考えかたも、面白《おもしろ》いね。」滅茶滅茶だ。
「朗読をお願いしましょう。」上杉氏は、ちょっと上品に気取って言った。その態度には、なんだか猫《ねこ》のような、陰性の敵意が含まれていた。横沢氏よりも、こっちが手剛《てごわ》い。そんな気がした。
「何をお願いしましょうか。」上杉氏は、くそ叮嚀《ていねい》な口調で、横沢氏に尋ねるのである。「このひとは、程度が高いそうですから。」いやな言いかたを、しやがる! 卑
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