なに大仕事のように思われて来るのかね。とにかく、伊東の半箇年は永くて、重苦しく、たっぷりしたものだった。いろいろな思い出がある。その中でも、おそらくこれから十年経っても二十年経っても、いや僕の死ぬまで決して忘れる事が出来ないだろうと思われる妙な事件が一つある。それを話そう。
あれはもう初夏の頃で、そろそろれいの中小都市爆撃がはじまって、熱海伊東の温泉地帯もほどなく焼き払われるだろうということになり、荷物の疎開やら老幼者の避難やらで悲しい活気を呈していた。その頃の事だが、或《あ》る日、昼飯後の休憩時間に、僕は療養所の門のところに立ってぼんやり往来を眺めていた。日でり雨というのか、お天気がよいのに、こまかく金色に光る雨が時々ぱらぱらと降って来る。燕《つばめ》が、道路に腹がすれすれになるくらいに低く飛んで飛び去る。僕はあの時、何を考えていたのだろう。道の向う側の黒い板塀の下に一株の紫陽花《あじさい》が咲いていて、その花がいまでもはっきり頭に残っているところから考えると、或《ある》いは僕はそのとき柄にもなく旅愁に似たセンチメンタルな気持でいたのかも知れないね。
「兵隊さん、雨に濡《ぬ》れてし
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