いま思うとまるでもう遠い夢のようで、それにまた、兵隊として走り廻っているのが、この自分では無いような気がして、あの当時の事は、まったく語りたくない。語っても、嘘《うそ》をついているような気がしていけない。それよりも僕には、伊東温泉の半年のほうが、ずっと永くて、そうして自分というこの重苦しい人間の存在が、まごうかたなく生きて動いている感じで、悲しみも喜びも、自分の皮膚にしみ込んで来るような思いがして、僕の三年半の兵隊生活のうちで、君たちに語りたいのは、その最後の六箇月間の療養生活に就《つ》いてだけのような気がする。やっぱり日本人は、内地から一歩外へ出ると、自己喪失とでもいうのか、ふわりと足が浮いて生活を忘れ、まるで駄目になってしまう宿命を負っているのではないかしら。内地では、二、三時間汽車に乗っても、大旅行の感じでとても気疲れがするのだが、外地では十時間二十時間の汽車旅行なんて、まるで隣村へ行くくらいの気軽なものなのだからね。内地の生活の密度が濃いとでもいうのか、または、その密度の濃い生活とぴったり噛み合う歯車が僕たちの頭脳の中にあって、それで気持の弛緩《しかん》が無く一時間の旅でもあん
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