そのメンコを調べてみて、その男の子の無念と、淋しさを思いやって、しじゅう、そのことが頭から離れず、その後は、メンコ屋の店のまえをとおるときには、必ずちょっと店先を覗《のぞ》いて、もしや、東の横綱が無いかしら、と思わず懸命に捜してみるようになってしまっているにちがいない。そうでなかったら、君は、鬼だ。どろぼうなんて、いい商売じゃないね。よしたまえ、おい、聞いているのか。」
 隣室にぱっと電燈がともって、この部屋も薄明るくなって、見ると、どろぼうは、影も形も無い。いやな気がした。
 襖《ふすま》をあけて、家内がよろめくようにしてはいって来て、
「どろぼう?」あさましいほどに、舌がもつれていて、そのまま、ぺたりと坐ってしまった。
「そうだ。たしかに、いたのだ。」家内の恐怖の情を見て、たちまち私は、それに感染してしまったのである。歯の根も合わぬほどに、がたがたと震えはじめた。はじめて、人心地を取りかえしたのかも知れない。それまでは、私は、あまりの驚愕《きょうがく》に、動顛《どうてん》して、震えることさえ忘却し、ひたすらに逆上し、舌端《ぜったん》火を吐き、一種の発狂状態に在ったのかも知れない。「
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