と見て知っている。忘れるものか。僕は、偉い絵かきだから、君の顔を、そのまま、いつでも画いて見せることができる。君の今夜の服装だって、撫《な》で肩だって、一つも、残さず全部、知っている。電燈を消すまえに、ちゃんと見とどけてしまっているのだ。言ってあげようか。君は、わざわざ、印半纏《しるしばんてん》を裏がえしに着ているが、僕には、その半纏の裏の襟《えり》に、どんな文字が染め抜かれて在るか、それさえ、ちゃんとわかっているのだ。言ってあげようか。今金酒造株式会社。どうだい、おどろいたか。僕は、君の手さえ握っているのだ。男か、女か、その区別さえわからないようで、そんな工合で、偉い絵かきとは、言えまい。いいかい、君は、ことし三十一だ。御|亭主《ていしゅ》は、君より年下で、二十六だ。年下の亭主って、可愛いものさ。食べてしまいたいだろう。それに、君の亭主は、気が弱くて、街頭に出て、あの、いんちきの万年筆を、あやしげの口上でのべて売っているのだが、なにせ気の弱い、甘えっ子だから、こないだも、泉法寺の縁日で、万年筆のれいの口上、この万年筆、今回とくべつを以て皆さんに、会社の宣伝のため、無代進呈するものであ
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