であるから、私は、ほとんど、それを期待しない。あれば、あるだけの生活をするつもりだし、無ければ無いで、あわてないように、ふだんから、けちにけちに暮しているのだ。そうして居れば、なんにも欲しいものがない。あてにしていた夢が、かたっぱしから全部はずれて、大穴あけて、あの悽惨《せいさん》、焦躁《しょうそう》、私はそれを知っている。その地獄の中でだけ、この十年間を生きて来た。もう、いやだ。私は、幸福を信じない。光栄をさえ信じない。ほんとうに、私は、なんにも欲しくない。私には、いまは何も、必要なものはないのだ。こうして苦しみながら書いて、転々して、そうして二、三の真実、愛しているものたちを、ほのかに喜ばせ、お役に立つことができたら、私は、それで満足しなければならぬ。空中楼閣は、もう、いやだ。私は、いまは、冷いけちな男だ。私は、机のひき出しの二十円を死守しなければならぬ。私は、平気で嘘をついた。「いや、このひき出しの中にお金が在りそうに思われるのは、それは君の勘のにぶさだ。そう思わなければ、いけない。見せてもいいが、このひき出しには、お金が無い。実を言えば、きょうは、この家には、ほんの五、六銭しか
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