もとから私は、どろぼうという種属の人間に、馴れ親んでいるわけではない。冗談ではない。全く、生れて、はじめて、どろぼうという者を見たのである。火事は、中学校四年生のときに、はっきり一ぶしじゅうを見とどけたことがあるけれども、どろぼうは、はじめてなのである。火事は、あれも不思議なものである。私のお隣りの家が焼けているのだけれど、私は、どういうものか、ぼんやりして、二階の窓に頬杖ついて、うっとり見ていた。秋の終りの、朝のことである。手にとるようによく見える、というが、そのときには、実際、お隣りの家の燃えている軒と、私の頬杖ついている窓縁《まどべり》とは、二間と離れていず、やがてお隣りの軒先の柿の木にさえ火が燃え移って、柿の枯葉が、しゃあと涼しい音たてて燃えては黒くちりちり縮み、その燃えている柿の一枝が、私の居る二階の窓から、ほんとうに、ちょっと手を伸ばせば、折り取れるところに在って、それこそ咫尺《しせき》の間《かん》に於いて私は、火事を見ていたのである。軒が燃え出すまでの、焔《ほのお》の順序が面白かった。はじめ軒端を伝って、ちょろちょろ、まるで鼠のように、青白い焔が走って、のこぎりの歯の形で
前へ 次へ
全62ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング