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(野中)(力弱くそれを片手で払いのけるようにして)それは、お前から、菊代さんにやってくれ。
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節子、そのままの形で、黙って野中の顔を見つめている。
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(野中) いやなら、いい。(節子の手から封筒をひったくり、自身の上衣のポケットにねじ込み)僕から、返してやる。(急にまた、ぐたりとなって)しかし、お前は、強いなあ。……負けた、負けた。僕は、負けたよ。お前たちのこんな強さは、いったい、何から来ているのだろうなあ。男女同権どころじゃない。これじゃ、あべこべに男のほうからお助けを乞《こ》わなくちゃいけねえ。いったい、なんだい? お前たちのその強さの本質は、さ。封建、といったってはじまらねえ。保守、といってみたってばかげている。どだいそんな、歴史的なものじゃあ無えような気がする。有史以前から、お前たちには、そんな強さがあったんだ。そうしてまた、これから、この地球に人類の存在するかぎり、いや、動物の存続する限り、お前たちは、永久に強いんだ。
(節子)(落ちついて)あなたは、はずかしくないのですか?
(野中)(呻《うめ》く)ううむ、ちえっ、ちくしょう! (顔を挙げて)全人類を代表してお前に言う。お前は、悪魔だ!
(節子)(冷く)なぜですか!
(野中) わからんのか? 人が死ぬほど恥かしがっているその現場に平気で乗り込んで来て、恥かしくありませんかと聞ける奴《やつ》あ悪魔だ。
(節子) あなたは、はずかしがっていません。
(野中) どうしてわかる? どうして、それがわかるんだ。
(節子)(無言)
(野中) イエス答をなし給わず、か。お前のその、何も物を言わぬという武器は、強いねえ。あんまり、いじめないでくれよ。ああ、頭が痛い。
(節子) これから、どうなさるのですか?
(野中) 死ぬんだ。死にゃあいいんだろう? どうせ僕は、野中|家《け》の面《つら》よごしなんだから、死んで申しわけを致しますですよ。(崩れるように、砂の上にあぐらを掻《か》き)ああ、頭が痛い。切腹だ。切腹をして死んでしまうんだ。
(節子) ふざけている時ではございません。菊代さんを、あなたは、どうなさるおつもりです。
(野中) どうもこうも出来やしねえ。ああ、頭が痛い。(頭をかかえ込んで、砂の上に寝ころび)負けたんだよ、僕たちは。僕と菊代さんは、お前たちに叛逆《はんぎゃく》をたくらんだが、お前たちは意外に強くて、僕たちは惨敗を喫したんだ。押せども、引けども、お前たちは、びくともしねえ。
(節子) だって、あなたたちは、間違った事をしているのですもの。
(野中) 聖書にこれあり。赦《ゆる》さるる事の少き者は、その愛する事もまた少し。この意味がわかるか。間違いをした事がないという自信を持っている奴《やつ》に限って薄情だという事さ。罪多き者は、その愛深し。
(節子) 詭弁《きべん》ですわ。それでは、人間は、努めてたくさんの悪い事をしたほうがいいのですか?
(野中) そこだ! 問題は。(笑う)何が、そこだ! だ。僕はいま罪人なんだ。人を教える資格なんか無いのに、どうも、永く教員なんかしていると、教壇意識がつきまとっていけねえ。いったい、この国民学校の教員というものの正体は何だ。だいいち、どだい、学問が無い。外国語を自由に読める先生が、この津軽地方には、ひとりもいない。外国語どころか、源氏物語だって読めやしない。なんにも知らねえ癖《くせ》に、それでも、教壇に立って、自信ありげに何か教えていやがる。学問が無くても、人格が立派とでもいうんならまだしも、毎日の自分の食べものに追われて走り廻っている有様で、人格もクソもあるもんか。学童を愛する点に於いては、学童たちの父母《ちちはは》に及びもつかぬし、子供の遊び相手、として見ても、幼稚園の保姆《ほぼ》にはるかに劣る。校舎の番人としては、小使いのほうが先生よりも、ずっと役に立つし、そもそもこの、先生という言葉には、全然何も意味が無い。むしろ、軽蔑感を含んでいる言葉だ。どうせからかうつもりなら、いっそもう、閣下《かっか》とでも呼んでもらいたい。僕たちの社会的の地位たるや、ほとんどまるで乞食坊主と同じくらいのものなんだ。国民学校の先生になるという事はもう、世の中の廃残者、失敗者、落伍者《らくごしゃ》、変人《へんじん》、無能力者、そんなものでしか無い証拠だという事になっているんだ。僕たちは、乞食だ。先生という綽名《あだな》を附けられて、からかわれている乞食だ。おい、奥田先生だって、やっぱり同じ事なんだぜ。あきらめろ、あきらめろ。
(節子)(鋭く)なんですの? (幽《かす》かに笑い)へんな
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