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(野中) やあ、来た、来た。おう、こりゃまた豪華だね。多すぎるぞ、これあ。
(節子)(にこりともせず、食卓の上を片づけて、その二つの皿を置き)これで、全部でございます。
(野中) 全部? (顔を挙げて、節子の顔を見る)お母さんは? 食べないのか?
(節子)(まじめに)あの、わたくしどもは、ごはんはもう、すみました。
(野中)(憤然と)そうか。(矢庭《やにわ》に食卓をひっくりかえす)久しぶりの平目《ひらめ》じゃないか。お母さんにも、お前にも、みんなに食べてもらいたくて買って来たんだ。それを、なんだ。きたないものみたいにして、気味《きび》のわるいものみたいにして、一口も食べてくれないとは、あまり、あんまり、ひどいじゃないか。(泣き声になる)
[#ここで字下げ終わり]

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節子、無言で、その辺に散らばった肴を皿の上に拾い集める。
[#ここで字下げ終わり]

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(野中) やめろ! 拾うのは、やめてくれ。それは皆、捨てちまえ! 拾い集めてもらって、また食べるなんて、あまり惨《みじ》めだ。惨めすぎる。少しは、こっちの気持も察してくれよ。(上衣の内ポケットから、白い角封筒を出し、節子の手もとにほうってやって)まだ、七、八百円は残っている筈《はず》だ。新円だぞ。それで肴を買って来い。たったいま買って来い。ケチケチするな。鯛《たい》でも鮪《まぐろ》でも、漁師の家にあるものを全部を買って来い。ついでに甚兵衛《じんべえ》のところへ寄って、このサントリイウイスキイがまだ残っていたら、もう一升ゆずってもらって来い。これからまた僕は飲み直すんだ。そうして、ぜひとも、お母さんとお前に、肴を食べてもらうんだ。
(節子)(角封筒のほうには目もくれず、黙ってうなだれている。やがて静かに面を挙げて)あの、お伺《うかが》いしたい事がございます。
(野中)(たじろぎ)何だ。何か文句があるのか。
(節子)(緊張した声で)あなたは、いったい、……。
[#ここで字下げ終わり]

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この時、舞台|下手《しもて》より庭先へ、学童二名|駈《か》け込み、「先生! 奥田先生!」と叫ぶ。
奥田教師、縁側に出る。学童二名、息せき切って何やら奥田教師に囁《ささや》く。
[#ここで字下げ終わり]

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(奥田)(それを聞いて)そうか、よし。すぐ行く。(部屋へはいって、壁にかけてある自身の上衣をとって着ながら野中に)妹が警察に挙げられました。ばくちです。麻雀賭博《マージャンとばく》を学校の子供たちに教えてやっていたのです。たぶん、そんな事じゃないかと思っていました。ちょっと警察に行って来ます。(会釈《えしゃく》して、縁側に出て、はきものを捜す)
(野中)(蹌踉《そうろう》と立ち上り)僕も行く。
(奥田)(靴をはきながら)だめ、だめ。あなたはもう、どだい、歩けやしませんよ。(学童たちに向い)さ、行こう。
[#ここで字下げ終わり]

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奥田教師、学童二名と共に舞台|下手《しもて》に走り去る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
(野中)(夢遊病者の如くほとんど無表情で歩き、縁側から足袋《たび》はだしで降りて)僕も行く。
[#ここで字下げ終わり]

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野中教師、ほとんど歩行困難の様子だが、よろめき、よろめき、足袋はだしのまま奥田教師たちのあとを追い下手に向う。
節子、冷然と坐ったままでいたのであるが、ふと、膝元《ひざもと》の白い角封筒に眼をとめ、取りあげて立ち、縁側に出てはきものを捜し、野中のサンダルをつっかけ、無言で皆のあとを追う。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]――舞台、廻る。

     第三場

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舞台は、月下の海浜。砂浜に漁船が三艘あげられている。そのあたりに、一むらがりの枯れた葦《あし》が立っている。
背景は、青森湾。

舞台とまる。

一陣の風が吹いて、漁船のあたりからおびただしく春の枯葉舞い立つ。

いつのまにやら、前場の姿のままの野中教師、音も無く花道より登場。
すこし離れて、その影の如く、妻節子、うなだれてつき従う。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
(野中)(舞台中央まで来て、疲れ果てたる者の如く、かたわらの漁師に倒れるように寄りかかり)ああ、頭が痛い。これあ、ひどい。
[#ここで字下げ終わり]

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節子、無言で野中に寄り添い、あたりを見廻し、それから白い角封筒をそっと野中に差し出す。角封筒は月光を受けて、鋭く光る。
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