んなかに立っていて、ふところ手のまま、入口の右隅にある菊の生花を見つめている。
「菊は、むずかしいからねえ。」Kは、生花の、なんとか流の、いい地位にいた。
「ああ、古い、古い。あいつの横顔、晶助兄さんにそっくりじゃないか。ハムレット。」その兄は、二十七で死んだ。彫刻をよくしていた。
「だって、私は男のひと、他にそんなに知らないのだもの。」Kは、恥ずかしそうにしていた。
 号外。
 女中は、みなに一枚一枚くばって歩いた。――事変以来八十九日目。上海《シャンハイ》包囲全く成る。敵軍|潰乱《かいらん》全線に総退却。
 Kは号外をちらと見て、
「あなたは?」
「丙種。」
「私は甲種なのね。」Kは、びっくりする程、大きい声で、笑い出した。「私は、山を見ていたのじゃなくってよ。ほら、この、眼のまえの雨だれの形を見ていたの。みんな、それぞれ個性があるのよ。もったいぶって、ぽたんと落ちるのもあるし、せっかちに、痩《や》せたまま落ちるのもあるし、気取って、ぴちゃんと高い音たてて落ちるのもあるし、つまらなそうに、ふわっと風まかせに落ちるのもあるし、――」

 Kも、私も、くたくたに疲れていた。その日湯河原
前へ 次へ
全18ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング