たのじゃないか。ああ、お母さまは、もうお亡くなりになったのだと意識したら、言い知れぬ凄《さび》しさに身震いして、眼がさめた。
 ヴェランダは、すでに黄昏《たそがれ》だった。雨が降っていた。みどり色のさびしさは、夢のまま、あたり一面にただよっていた。
「お母さま」
 と私は呼んだ。
 静かなお声で、
「何してるの?」
 というご返事があった。
 私はうれしさに飛び上って、お座敷へ行き、
「いまね、私、眠っていたのよ」
「そう。何をしているのかしら、と思っていたの。永いおひる寝ね」
 と面白そうにお笑いになった。
 私はお母さまのこうして優雅に息づいて生きていらっしゃる事が、あまりうれしくて、ありがたくて、涙ぐんでしまった。
「御夕飯のお献立は? ご希望がございます?」
 私は、少しはしゃいだ口調でそう言った。
「いいの。なんにも要らない。きょうは、九度五分にあがったの」
 にわかに私は、ぺしゃんこにしょげた。そうして、途方にくれて薄暗い部屋の中をぼんやり見廻し、ふと、死にたくなった。
「どうしたんでしょう。九度五分なんて」
「なんでもないの。ただ、熱の出る前が、いやなのよ。頭がちょっと痛
前へ 次へ
全193ページ中123ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング