な。よしんば、あったとしても、記憶が夢みたいに、おぼつかない。一年に、三度より多くは逢わない。」
「旅は、どこにするか。」
「東京から、二三時間で行けるところだね。山の温泉がいい。」
「あまりはしゃぐなよ。女は、まだ東京駅にさえ来ていない。」
「そのまえの日に、うそのような約束をして、まさかと思いながら、それでもひょっとしたらというような、たよりない気持で、東京駅へ行ってみる。来ていない。それじゃ、ひとりで旅行しようと思って、それでも、最後の五分まで、待ってみる。」
「荷物は?」
「小型のトランクひとつ。二時にもう五分しかないという、危いところで、ふと、うしろを振りかえる。」
「女は笑いながら立っている。」
「いや、笑っていない。まじめな顔をしている。おそくなりまして、と小声でわびる。」
「君のトランクを、だまって受けとろうとする。」
「いや、要らないのです、と明白にことわる。」
「青い切符かね?」
「一等か三等だ。まあ、三等だろうな。」
「汽車に乗る。」
「女を誘って食堂車へはいる。テエブルの白布も、テエブルのうえの草花も、窓のそとの流れ去る風景も、不愉快ではない。僕はぼんやりビイル
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