「いや、アグリパイナは、ネロの恋を邪魔して、――」
「うむ、なるほど。」詩人、煙草をふかしながら、「ネロは、それゆえ、母をなくした。お母さん、おゆるし下さい、私は、あなたのものじゃない。母は、苦しい息の下から囁く。おまえ、お母さんが憎いかい?」
 美濃は興覚《きょうざ》め顔に、「まあ、そんなところさ。」椅子から立ちあがって部屋の中を歩きまわり、「追い詰められた人たちは、きっときっと血族相食をはじめる。」
「よせよ。どうも古い。大時代《おおじだい》だ。」詩人は、美濃の此のような多少の文才も愛しているし、また、こんな物語を独《ひと》りでこっそり書いている美濃の身の上を、不憫にも思うのだが、けれども、美濃のこんどの無法な新手の恋愛には、わざと気づかぬ振りをしていようと思った。「まるで、映画物語じゃないか。」
「呑むか?」美濃は、机上のウイスキイの瓶に手をかけた。
「敢《あ》えて辞さない。」詩人も立ちあがった。
 これでいいのだ。
「ロオマの人のために。」ふたり同時に言い、かちっとグラスを触れ合せる。「滅亡の階級のために。チェリオ。」

        E

 人のこころも
 まこと信じてもら
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