ロオマ一ばんの貝殻蒐集家として知られていた。黒薔薇《くろばら》栽培にも一家言を持っていた。王位についてみても、かれには何だか居心地のわるい思いであった。恐縮であった。むやみ矢鱈《やたら》に、特赦大赦を行った。わけても孤島に流されているアグリパイナと、ネロの身の上を恐ろしきものに思い、可哀そうでならぬから、と誰にとも無き言いわけを、頬あからめて呟《つぶや》きつつ、その二人への赦免の書状に署名を為した。
赦免状を手にした孤島のアグリパイナは狂喜した。凱旋《がいせん》の女王の如く、誇らしげに胸を張って、ドミチウスや、おまえの世の中が来た、と叫び、ネロを抱いて裸足《はだし》のまま屋外に駈け出し、花一輪無き荒磯を舞うが如く歩きまわり、それから立ちどまって永いことすすり泣いた。
アグリパイナはロオマへ帰って来て、もう恐ろしい人はいないぞ、とのびのびと四肢をのばして、ふと、背後に痛い視線を感じた。クロオジヤスの后《きさき》メッサライナ。メッサライナは、アグリパイナの瞳《ひとみ》をひとめ見て、これは、あぶない、と思った。烈々の、野望の焔を見てとった。メッサライナには、ブリタニカスと呼ばれる世子《せ
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