ず、
「きょうは、いやだ。」
「おや、おや。」詩人は部屋へはいって来た。「まさか、死ぬ気じゃないだろうね。」
「いいかい? 読むぞ。」美濃は、机に向ったままで、自分の労作を大声で読みはじめた。「アグリパイナは、ロオマの王者、カリギュラの妹君として生れた。漆黒の頭髪と、小麦色の頬と、痩せた鼻とを持った小柄の婦人であった。極端に吊りあがった二つの眼は、山中の湖沼の如くつめたく澄んでいた。純白のドレスを好んで着した。
 アグリパイナには乳房《ちぶさ》が無い、と宮廷に集《つど》う伊達《だて》男たちが囁《ささや》き合った。美女ではなかった。けれどもその高慢にして悧※[#「りっしんべん+發」、345−19]《りはつ》、たとえば五月の青葉の如く、花無き清純のそそたる姿態は、当時のみやび男《お》の一、二のものに、かえって狂おしい迄の魅力を与えた。
 アグリパイナは、おのれの仕合せに気がつかないくらいに仕合せであった。兄は、一点非なき賢王として、カイザアたる孤高の宿命に聡《さと》くも殉ぜむとする凄烈《せいれつ》の覚悟を有し、せめて、わがひとりの妹、アグリパイナにこそ、まこと人らしき自由を得させたいものと
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