ジャズ文学というのがあって、これと対抗していたが、これはまた眼がしらが熱くなるどころか、チンプンカンプンであった。可笑《おか》しくもなかった。私はとうとう、レヴュウというものを理解できずに終った。モダン精神が、わからなかったのである。してみると、当時の日本の風潮は、アメリカ風とソヴィエト風との交錯であった。大正末期から昭和初年にかけての頃である。いまから二十年前である。ダンスホールとストライキ。煙突男などという派手な事件もあった。)
 結局私は、生家をあざむき、つまり「戦略」を用いて、お金やら着物やらいろいろのものを送らせて、之《これ》を同志とわけ合うだけの能しか無い男であった。
         ×
 満洲事変が起った。爆弾三勇士。私はその美談に少しも感心しなかった。
 私はたびたび留置場にいれられ、取調べの刑事が、私のおとなしすぎる態度に呆《あき》れて、「おめえみたいなブルジョアの坊ちゃんに革命なんて出来るものか。本当の革命は、おれたちがやるんだ。」と言った。
 その言葉には妙な現実感があった。
 のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を兇暴《きょうぼ
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