いのがれをした事もあった。
「矢絣《やがすり》の銘仙《めいせん》があったじゃないか。あれを着たら、どうだい?」
「いいわよ、いいわよ。これでいいの。」心の内は生死の境だ。危機一髪である。
 姿を消した自分の着物が、どんなところへ持ち込まれているのか、少しずつ節子にもわかって来た。質屋というものの存在、機構を知ったのだ。どうしてもその着物を母のお目に掛けなければならぬ窮地におちいった時には、苦心してお金を都合して兄に手渡す。勝治は、オーライなどと言って、のっそり家を出る。着物を抱《かか》えてすぐに帰って来る事もあれば、深夜、酔って帰って来て、「すまねえ」なんて言って、けろりとしていることもある。後になって、節子は、兄に教わって、ひとりで質屋へ着物を受け出しに行くようにさえなった。お金がどうしても都合できず、他の着物を風呂敷に包んで持って行って、質屋の倉庫にある必要な着物と交換してもらう術なども覚えた。
 勝治は父の画を盗んだ。それは、あきらかに勝治の所業であった。その画は小さいスケッチ版ではあったが、父の最近の佳作の一つであった。父の北海道旅行の収穫である。およそ二十枚くらい画いて来たの
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