花火
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)四谷《よつや》
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 昭和のはじめ、東京の一家庭に起った異常な事件である。四谷《よつや》区某町某番地に、鶴見仙之助というやや高名の洋画家がいた。その頃すでに五十歳を越えていた。東京の医者の子であったが、若い頃フランスに渡り、ルノアルという巨匠に師事して洋画を学び、帰朝して日本の画壇に於いて、かなりの地位を得る事が出来た。夫人は陸奥《むつ》の産である。教育者の家に生れて、父が転任を命じられる度毎に、一家も共に移転して諸方を歩いた。その父が東京のドイツ語学校の主事として栄転して来たのは、夫人の十七歳の春であった。間もなく、世話する人があって、新帰朝の仙之助氏と結婚した。一男一女をもうけた。勝治と、節子である。その事件のおこった時は、勝治二十三歳、節子十九歳の盛夏である。
 事件は既に、その三年前から萌芽《ほうが》していた。仙之助氏と勝治の衝突である。仙之助氏は、小柄で、上品な紳士である。若い頃には、かなりの毒舌家だったらしいが、いまは、まるで無口である。家族の者とも、日常ほとんど話をしない。用事のある時だけ、
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