低い声で、静かに言う。むだ口は、言うのも聞くのも、きらいなようである。煙草は吸うが、酒は飲まない。アトリエと旅行。仙之助氏の生活の場所は、その二つだけのように見えた。けれども画壇の一部に於いては、鶴見はいつも金庫の傍で暮している、という奇妙な囁《ささや》きも交《か》わされているらしく、とすると仙之助氏の生活の場所も合計三つになるわけであるが、そのような囁きは、貧困で自堕落な画家の間にだけもっぱら流行している様子で、れいのヒステリイの復讐的な嘲笑に過ぎないらしいところもあるので、そのまま信用する事も出来ない。とにかく世間一般は、仙之助氏を相当に尊敬していた。
勝治は父に似ず、からだも大きく、容貌も鈍重な感じで、そうしてやたらに怒りっぽく、芸術家の天分とでもいうようなものは、それこそ爪の垢《あか》ほども無く、幼い頃から、ひどく犬が好きで、中学校の頃には、闘犬を二匹も養っていた事があった。強い犬が好きだった。犬に飽《あ》きて来たら、こんどは自分で拳闘に凝《こ》り出した。中学で二度も落第して、やっと卒業した春に、父と乱暴な衝突をした。父はそれまで、勝治の事に就《つ》いては、ほとんど放任してい
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