はじめた。医者の学校へ受験したのか、しないのか、(勝治は受験したと言っている)また、次の受験にそなえて勉強しているのか、どうか、(勝治は、勉強しているさ、と言っている)まるで当てにならない。勝治の言葉を信じかねて、食事の時、母がうっかり、「本当?」と口を滑らせたばかりに、ざぶりと味噌汁《みそしる》を頭から浴びせられた。
「ひどいわ。」朗らかに笑って言って素早く母の髪をエプロンで拭いてやり、なんでもないようにその場を取りつくろってくれたのは、妹の節子である。未だ女学生である。この頃から、節子の稀有《けう》の性格が登場する。
 勝治の小使銭は一月三十円、節子は十五円、それは毎月きまって母から支給せられる額である。勝治には、足りるわけがない。一日で無くなる事もある。何に使うのか、それは後でだんだんわかって来るのであるが、勝治は、はじめは、「わかってるじゃねえか、必要な本があるんだよ」と言っていた。小使銭を支給されたその日に、勝治はぬっと節子に右手を差し出す。節子は、うなずいて、兄の大きい掌に自分の十円紙幣を載せてやる。それだけで手を引込める事もあるが、なおも黙って手を差し出したままでいる事も
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