した。
「ちょっとお待ち下さい。」
「はあ。」また、不安になった。
 しばらくして、
「節子かい。」と男の太い声。
 やっぱり勝治である。勝治は三日ほど前に家を出て、それっきりだったのである。
「兄さんが牢へはいってもいいかい?」突然そんな事を言った。「懲役《ちょうえき》五年だぜ。こんどは困ったよ。たのむ。二百円あれば、たすかるんだ。わけは後で話す。兄さんも、改心したんだ。本当だ。改心したんだ、改心したんだ。最後の願いだ。一生の願いだ。二百円あれば、たすかるんだ。なんとかして、きょうのうちに持って来てくれ。井の頭公園の、な、御殿山の、宝亭というところにいるんだ。すぐわかるよ。二百円できなければ、百円でも、七十円でも、な、きょうのうちに、たのむ。待ってるぜ。兄さんは、死ぬかも知れない。」酔っているようであったが、語調には切々たるものが在った。節子は、震えた。
 二百円。出来るわけはなかった。けれども、なんとかして作ってやりたかった。もう一度、兄を信頼したかった。これが最後だ、と兄さんも言っている。兄さんは、死ぬかも知れないのだ。兄さんは、可哀《かわい》そうなひとだ。根からの悪人ではない。
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