る日、勝治は、父のアトリエに呼ばれた。
「たのむ!」仙之助氏は荒い呼吸をしながら、「画を持ち出さないでくれ!」
 アトリエの隅に、うず高く積まれてある書き損じの画の中から、割合い完成せられてある画を選び出して、二枚、三枚と勝治は持ち出していたのである。
「僕がどんな人だか、君は知っているのですか?」父はこのごろ、わが子の勝治に対して、へんに他人行儀のものの言いかたをするようになっていた。「僕は自分を、一流の芸術家のつもりでいるのだ。あんな書き損じの画が一枚でも市場に出たら、どんな結果になるか、君は知っていますか? 僕は芸術家です。名前が惜しいのです。たのむ。もう、いい加減にやめてくれ!」声をふるわせて言っている仙之助氏の顔は、冷い青い鬼のように見えた。さすがの勝治もからだが竦《すく》んだ。
「もう致しません。」うつむいて、涙を落した。
「言いたくない事も言わなければいけませんが、」父は静かな口調にかえって、そっと立ち上り、アトリエの大きい窓をあけた。すでに初夏である。「松やを、どうするのですか?」
 勝治は仰天した。小さい眼をむき出して父を見つめるばかりで、言葉が出なかった。
「お金を
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