高野さちよは、奥羽の山の中に生れた。祖先の、よい血が流れていた。曾祖父は、医者であった。祖父は、白虎隊のひとりで、若くして死んだ。その妹が家督《かとく》を継いだ。さちよの母である。気品高い、無表情の女であった。養子をむかえた。女学校の図画の先生であった。峠を越えて八里はなれた隣りのまちの、造り酒屋の次男であった。からだも、心も、弱い人であった。高野の家には、土地が少しあった。女学校の先生をやめても、生活が、できた。犬を連れ、鉄砲をしょって、山を歩きまわった。いい画をかきたい。いい画家になりたい。その渇望が胸の裏を焼きこがして、けれども、弱気に、だまっていた。
高野さちよは、山の霧と木霊《こだま》の中で、大きくなった。谷間の霧の底を歩いてみることが好きであった。深海の底というものは、きっとこんなであろう、と思った。さちよが、小学校を卒業したとしに、父は、ふたたび隣りのまちの女学校に復職した。さちよの学費を得るためであった。さちよは、父のつとめているその女学校に受験して合格した。はじめ、父とふたり、父の実家に寄宿して、毎朝一緒に登校していたのであるが、それでは教育者として、ていさいが悪
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