いのではないか、と父の実家のものが言い出し、弱気の父は、それもそうだ、と一も二もなく賛成して、さちよは、その女学校の寮にいれられた。母は、ひとり山の中の家に残って、くらしていた。女学生たちに、さちよの父は、ウリという名で呼ばれて、あまり尊敬されては、いなかった。さちよは、おナスと呼ばれていた。ウリの蔓《つる》になったナスビというわけであった。事実、さちよは、色が黒かった。自分でも、ひどくぶ器量だと信じていた。私は醜いから、心がけだけでも、よくしなければならない、と一生懸命、努力していた。いつも、組長であった。図画を除いては、すべて九十点以上であった。図画は、六十点、ときたま七十三点なぞということもあった。気弱な父の採点である。
 さちよが、四年生の秋、父はさちよのコスモスの写生に、めずらしく「優」をくれた。さちよは、不思議であった。木炭紙を裏返してみると、父の字で、女はやさしくあれ、人間は弱いものをいじめてはいけません、と小さく隅に書かれていた。はっ、と思った。
 そうして、父は、消えるようにいなくなった。画の勉強に、東京へ逃げて行った、とも言われ、母との間に何かあった、いや、実家と母
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