。とりかかれば、一通りはうまくできるのが判つてゐる。けれども、とりかかるまへに、これは何故に今さららしくとりかかる値打ちがあるのか、それを四方八方から眺めて、まあ、まあ、ことごとしくとりかかるにも及ぶまいといふことに落ちついて、結局、何もしない。」
「それほどの心情をお持ちになりながら、なんだつて、僕たちと一緒に雜誌をやらうなどと言ふのだらう。」
「こんどは僕を研究する氣ですか? 僕は怒りたくなつたからです。なんでもいい、叫びが欲しくなつたのだ。」
「あ、それは判る。つまり楯を持つて恰好をつけたいのですね。けれども、――いや、そむいてみることさへできない。」
「君を好きだ。僕なんかも、まだ自分の楯を持つてゐない。みんな他人の借り物だ。どんなにぼろぼろでも自分專用の楯があつたら。」
「あります。」私は思はず口をはさんだ。「イミテエシヨン!」
「さうだ。佐野次郎にしちや大出來だ。一世一代だぞ、これあ。太宰さん。附け鬚模樣の銀鍍金の楯があなたによく似合ふさうですよ。いや、太宰さんは、もう平氣でその楯を持つて構へてゐなさる。僕たちだけがまるはだかだ。」
「へんなことを言ふやうですけれども、君はまるはだかの野苺と着飾つた市場の苺とどちらに誇りを感じます。登龍門といふものは、ひとを市場へ一直線に送りこむ外面如菩薩の地獄の門だ。けれども僕は着飾つた苺の悲しみを知つてゐる。さうしてこのごろ、それを尊く思ひはじめた。僕は逃げない。連れて行くところまでは行つてみる。」口を曲げて苦しさうに笑つた。「そのうちに君、眼がさめて見ると、――」
「おつとそれあ言ふな。」馬場は右手を鼻の先で力なく振つて、太宰の言葉をさへぎつた。「眼がさめたら、僕たちは生きて居れない。おい、佐野次郎。よさうよ。面白くねえや。君にはわるいけれども、僕は、やめる。僕はひとの食ひものになりたくないのだ。太宰に食はせる油揚げはよそを搜して見つけたらいい。太宰さん。海賊クラブは一日きりで解散だ。そのかはり、――」立ちあがつて、つかつか太宰のはうへ歩み寄り、「ばけもの!」
太宰は右の頬を毆られた。平手で音高く毆られた。太宰は瞬間まつたくの小兒のやうな泣きべそを掻いたが、すぐ、どす黒い唇を引きしめて、傲然と頭をもたげた。私はふつと、太宰の顏を好きに思つた。佐竹は眼をかるくつぶつて眠つたふりをしてゐた。
雨は晩になつてもやまな
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