ダス・ゲマイネ
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)佐野次郎《さのじろ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]
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一 幻燈
[#ここから8字下げ]
當時、私には一日一日が晩年であつた。
[#ここで字下げ終わり]
戀をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであつた。それより以前には、私の左の横顏だけを見せつけ、私のをとこを賣らうとあせり、相手が一分間でもためらつたが最後、たちまち私はきりきり舞ひをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなつてゐて、ほとんど私の身にくつついてしまつたかのやうにも思はれてゐたその賢明な、怪我の少い身構への法をさへ持ち堪へることができず、謂はば手放しで、節度のない戀をした。好きなのだから仕樣がないといふ嗄れた呟きが、私の思想の全部であつた。二十五歳。私はいま生れた。生きてゐる。生き、切る。私はほんたうだ。好きなのだから仕樣がない。しかしながら私は、はじめから歡迎されなかつたやうである。無理心中といふ古くさい概念を、そろそろとからだで了解しかけて來た矢先、私は手ひどくはねつけられ、さうしてそれつきりであつた。相手はどこかへ消えうせたのである。
友人たちは私を呼ぶのに佐野次郎左衞門、もしくは佐野次郎《さのじろ》といふ昔のひとの名でもつてした。
「さのじろ。――でも、よかつた。そんな工合ひの名前のおかげで、おめえの恰好もどうやらついて來たぢやないか。ふられても恰好がつくなんてのは、てんからひとに甘つたれている證據らしいが、――ま、落ちつく。」
馬場がさう言つたのを私は忘れない。そのくせ、私を佐野次郎なぞと呼びはじめたのは、たしかに馬場なのである。私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合つた。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁臺を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合つた。
私が講義のあひまあひまに大學の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていつて、その甘酒屋にちよいちよい立ち寄つたわけは、その店に十七歳の、菊といふ小柄で利發さうな、眼のすずしい女の子がゐて、それの樣が私の戀の相手によくよく似てゐたからであつた。私の
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