ら、そのにやにや笑ひだけはよしにしませう。」
「それぢや、君に聞くが、君はなんだつて僕を呼んだのだ。」
「おめえはいつでも呼べば必ず來るのかね?」
「まあ、さうだ。さうしなければいけないと自分に言ひ聞かせてあるのです。」
「人間のなりはひの義務。それが第一。さうですね?」
「ご勝手に。」
「おや、あなたは妙な言葉を體得してゐますね。ふてくされ。ああ、ごめんだ。あなたと仲間になるなんて! とかう言ひ切るとあなたのはうぢや、すぐもうこつちをポンチにしてゐるのだからな。かなはんよ。」
「それは、君だつて僕だつてはじめからポンチなのだ。ポンチにするのでもなければ、ポンチになるのでもない。」
「私は在る。おほきいふぐりをぶらさげて、さあ、この一物をどうして呉れる。そんな感じだ。困りましたね。」
「言ひすぎかも知れないけれど、君の言葉はひどくしどろもどろの感じです。どうかしたのですか? ――なんだか、君たちは藝術家の傳記だけを知つてゐて、藝術家の仕事をまるつきり知つてゐないやうな氣がします。」
「それは非難ですか? それともあなたの研究發表ですか? 答案だらうか。僕に採點しろといふのですか?」
「――中傷さ。」
「それぢや言ふが、そのしどろもどろは僕の特質だ。たぐひ稀な特質だ。」
「しどろもどろの看板。」
「懷疑説の破綻と來るね。ああ、よして呉れ。僕は掛合ひ萬歳は好きでない。」
「君は自分の手鹽にかけた作品を市場にさらしたあとの突き刺されるやうな悲しみを知らないやうだ。お稻荷さまを拜んでしまつたあとの空虚を知らない。君たちは、たつたいま、一《いち》の鳥居をくぐつただけだ。」
「ちえつ! また御託宣か。――僕はあなたの小説を讀んだことはないが、リリシズムと、ウヰツトと、ユウモアと、エピグラムと、ポオズと、そんなものを除き去つたら、跡になんにも殘らぬやうな駄洒落小説をお書きになつてゐるやうな氣がするのです。僕はあなたに精神を感ぜずに世間を感ずる。藝術家の氣品を感ぜずに、人間の胃腑を感ずる。」
「わかつてゐます。けれども、僕は生きて行かなくちやいけないのです。たのみます、といつて頭をさげる、それが藝術家の作品のやうな氣さへしてゐるのだ。僕はいま世渡りといふことについて考へてゐる。僕は趣味で小説を書いてゐるのではない。結構な身分でゐて、道樂で書くくらゐなら、僕ははじめから何も書きはせん
前へ 次へ
全23ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング