能はさがらねども、ちからなく、やうやう年|闌《た》けゆけば、身の花も、よそ目の花も失するなり。先《まず》すぐれたるびなん(美男)は知らず、よき程の人も、ひためん(直面)の申楽《さるがく》は、年よりては見えぬ物なり。さるほどに此《この》一方は欠けたり。この比よりは、さのみにこまかなる物まねをばすまじきなり。大方似あひたる風体《ふうてい》を、安安《やすやす》とほねを折らで、脇のして(仕手)に花をもたせて、あひしらひのやうに、少少《すくなすくな》とすべし。たとひ脇のして(仕手)なからんにつけても、いよいよ細かに身をくだく能をばすまじきなり。云々。」またいう。「五十有余。この比よりは、大方せぬならでは、手だてあるまじ。麒麟《きりん》も老いては土馬に劣ると申す事あり。云々。」
次は藤村の言葉である。「芭蕉は五十一で死んだ。(中略)これには私は驚かされた。老人だ、老人だ、と少年時代から思い込んで居た芭蕉に対する自分の考えかたを変えなければ成らなくなって来た。(中略)『四十ぐらいの時に、芭蕉はもう翁という気分で居たんだね。』と馬場君も言っていた。(中略)兎《と》に角《かく》、私の心の驚きは今日まで
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