らだにも。」なる一句があった。前後はしかと覚えて居らぬが、あわれ、けだものすらだにも、云々というような歌であった。
 二十代の心情としては、どうしても、「すらだにも。」といわなければならぬところである。ここまで努めて、すらだにも、と口に出したくなって来るではないか。実朝を知ること最も深かった真淵《まぶち》、国語をまもる意味にて、この句を、とらず。いまになりては、いずれも佳《よ》きことをしたと思うだけで、格別、真淵をうらまない。

     慈眼

「慈眼。」というのは亡兄の遺作(へんな仏像)に亡兄みずから附したる名前であって、その青色の二尺くらいの高さの仏像は、いま私の部屋の隅に置いて在るが、亡兄、二十七歳、最後の作品である。二十八歳の夏に死んだのだから。
 そういえば、私、いま、二十七歳。しかも亡兄のかたみの鼠色の縞《しま》の着物を着て寝て居る。 二三年まえ、罪なきものを殴《なぐ》り、蹴《け》ちらかして、馬の如く巷《ちまた》を走り狂い、いまもなお、ときたま、余燼《よじん》ばくはつして、とりかえしのつかぬことをしてしまうのである。どうにでもなれと、一日一ぱいふんぞりかえって寝て居ると、
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